荒川沖競馬場の遺構を訪ねて
大正13年から昭和13年にかけて、毎年春秋の2回開催されていた荒川沖競馬場を訪ねてきました。
場所は、JR常磐線 荒川沖駅の東口を出てすぐのところです。
mapion地図のURLを貼り付けておきますので、参考にして下さい。
荒川沖競馬場界隈(mapion が別ウィンドウで開きます)
この地図の中心点あたりの道路を見ていただければ、何となく競馬場のコーナーのような曲線が分かるかと思います。
そのあたりの写真は以下のとおりです。
![]() 地図の中心点の右側から中心点方向を撮影 | ![]() 地図の中心点から右側方向を撮影 |
![]() 地図の中心点の左側から中心点の右側方向を撮影 | ![]() 地図の中心点の左側から中心点方向を撮影 |
反対側のコーナーの遺構はちょうど「長崎屋」さんの辺りで、「長崎屋」さんの右斜め上の道は若干昇り斜面になっていますので、コーナーの遺構と思われます。
直線は、線路に沿った道と、長崎屋と上記写真のコーナーを繋いた直線上と思われます。
更に、「長崎屋」さんの右上にある「関東つくば」さんの「ば」の文字辺りに「尾先稲荷神社」と言うのがあり、灯篭に刻まれていた奉納日を見ると、昭和15年12月となっていましたので、競馬場の廃止前後に建立されたものと思われます。
神社名も「尾先」ですので、もしかすると競馬場廃止により廃用となった馬への供養のために建立されたとも考えられます。
また、「水戸信金」さんの「戸」の文字辺りに馬頭観世音が立っていました。これは建立が昭和47年3月となっていましたので、競馬場とは直接関係がないかもしれませんが、もしかすると競馬場関係者がそのまま荒川沖に居を構え、講を起こして建立したものかもしれません。
競馬場の廃止理由は、「軍馬法により廃止」、即ち、県内の競馬場は一ヶ所に限定することになり、茨城県は取手競馬場(現在の取手競輪場とその駐車場)に一本化されたためです。
それにしても、まさに駅前競馬。相当繁盛していたと思われます。
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